私的巡礼の記録〜蒲原三十三番霊場の旅〜

第三十一番・東陽寺〔TOUYOUJI〕

芦苅りし 浪花の浦を よそにして 参る仏の 縁は飯塚
(あしかりし なにわのうらを よそにして まいるほとけの えんはいいづか)

東陽寺御朱印・2009年11月04日撮影東陽寺・2009年11月04日撮影
・JR羽越本線・神山駅の裏手である。古い地図だと「みのり保育園」が記されている。(※現在も境内に建物が残っているが、三年前に少子化の影響で他と統合され徳昌寺の近くへ移転している。)
 聖武天皇の御代、天平20年(738)、坂上田村麻呂将軍の家臣、阿部信行の懇請により、行基菩薩が79歳の時に観音様を刻んでいる。この観音様は後に比叡山に伝わるが、元亀2年の織田信長の兵火で、さらに江州の佐々木家に伝わる。また次には越後の少将忠輝公の元に伝わるのであるが、夢知らせの因縁により、またさらにこの忠輝公の家臣の小林茂介信治の元に伝わる。その後、小林茂介信治は出家し、水原の長楽寺の第10世住職超岸之悦となっている。当山はこの之悦和尚の開山した寺と伝えられている。
【聖籠山 宝積院発行・蒲原三十三観音霊場めぐり−より一部抜粋】
【詳細な地図】
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