私的巡礼の記録〜蒲原三十三番霊場の旅〜

第三十二番・大雲寺〔DAIUNJI〕

紫の 雲のうてなも よそならん 此の大寺に 参る我が身は
(むらさきの くものうてなも よそならん このおおてらに まいるわがみは)

大雲寺御朱印・2009年12月04日撮影大雲寺・2009年12月04日撮影
・白鳥の飛来地で知られる瓢湖。その通り沿いにある。同じ並びの数軒向こうには白鳥会館である。もし、昼頃に付いたなら白鳥会館で昼食をとるのもお薦めである。特に二階の中華レストランは2009年11月1日にリニューアルオープンしたばかりだそうだ。本場の方が作っているメニューはリーズナブルで美味しい。
 聖武天皇の御宇、天平20年(738)、行基菩薩が79歳の時、坂上田村麻呂の臣、阿部信行の懇請により、観音様を彫刻している。その後、比叡山に伝わり、また信長の兵火にて、さらに江州の佐々木氏のもとに伝わり、さらに越後の将、忠輝公に伝わる。ところが或る夜、夢の中で観世音が姿を現し、『属臣の小林茂介にこの観世音を渡すべし、そうすれば国家を擁護し、衆生を利益する功徳は一層大きくなるであろう。』と告げる。翌夜も翌々夜も同様の霊夢を見、夢の御告げに従うことに意を決する。一方、家臣小林茂介信治にも夢で『衆生済度の本願を成就する為、汝の家に来るべし』と告げる。後に信治が戦功の恩礼に主君を訪れ、夢告の話をしたところ、主従の話が符号し、直ちに忠輝公は尊像を下し賜る。信治が家に持ち帰り、日夜礼拝供養するうちに、またも夢告を受け、信心歓喜のあまり、一生を仏道に委ね、観音の慈恩に報謝しようと志し、30歳にて仏門に入る。超岸元悦と号し、難行苦行をし、ついに水原町長楽寺第10世住職となる。元和四年には、当山を創立し、寛永16年には東陽寺を開山し、正保3年この世を去るに当たり、この尊像を当山に留める
【聖籠山 宝積院発行・蒲原三十三観音霊場めぐり−より一部抜粋】
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