私的巡礼の記録〜妻在百三十三番霊場の旅〜

第十九番・二屋(二ツ屋)〔HUTATSUYA〕

玉の緒の 明日をもしらぬ 身ながらも 先二屋に 宿を假の世
(たまのをの あすをもしらぬ みながらも まづふたつやに やどをかりのよ)

二ツ屋・2008年9月21日撮影
聖観世音菩薩西国の三十三観音
・県道82号線を二ツ屋温泉に向かう。途中、分かれ道があるが“やすらぎ荘”の案内に従って左へ入る。次の案内看板の所を今度は右へ行くと集落の突き当たりに火の見櫓と消防小屋がある。消防小屋の上辺りにあるお宅が俵山さんと言い、観音堂に行くには敷地の中を通らなければならないので一言声をかけてお参りする。
お堂の中へ入ると正面がガラス戸になっていて、その中に本尊の聖観音様と、その両側に三十三観音が並んでお祀りされているはずなのだが、中越地震で仏像が倒れ、バラバラに壊れたまま手つかずの状態だった。納経の後で、そのままではあまりにも可哀想なのでせめて立てて差し上げようとガラス戸の鍵を開けていただき、一緒に廻っていた友人と二人でわかる範囲で蓮華座や御光背を取り付け直し、立てて並ばせて安置し直させていただいた。
二ツ屋の開村は建長二年(1250年)といわれる。また、関東に至る街道の要所であったため、宿場の役割も果たした所で、宿札なども現存する。言い伝えによると、この観音様は某所に運ばれる途中に、背負ってきた人がこの地で亡くなられ、仮安置という事でここに置いた。それが御詠歌にいう『宿を假の世』であり、また、亡くなった人の塚が御堂の登り口に残っている。享和、及び文化年間の借用書には『京都伏見稲荷山愛染寺の末院にして、本尊は聖観音とす。掃除料として銭拾貫門の祠堂金を附し、守護者を定め、五か年を一期として之を貸与し、満期の際は本寺より役僧来りて之を徴収す。』とある。御堂は明治初期までは大きな建物であり、庵主様もいた。昭和34年頃までは、重立衆六軒で管理していたが、その後は集落の管理となる。その頃、御堂も小さく改築した。
【曹洞宗青年僧侶の会発行・妻有の百三十三番−ふる里の霊場めぐり−より一部抜粋】
【詳細な地図】
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