私的巡礼の記録〜妻在百三十三番霊場の旅〜

第六十九番・峯観音〔MINENOKANNON〕

谷川に 峯の松風 かよふらん 早晩も断せぬ 法のひびきや
(たにがわに みねのまつかぜ かよふらん いつもたへせぬ のりのひびきや)

峯観音・2008年7月16日撮影聖観世音菩薩
・ここも忘れられぬ札所の一つである。まずこの季節には木々と草に囲まれて周りからはほとんど見えない。大井平集落の通りに「峰の観音 三五〇米 参道入口」の道標があるもののどこをどう行くのかわからずにぐるぐると同じ道を行ったり来たりするばかりだった。
たまらずに集落にある商店で道を尋ねたら店番をしていたおばあちゃんが「おめさんがた観音様行かんだかや?ありゃま大変だぁ。今ん時季は草刈りもしねんなんが道なんかねやんだよ」と言う。以前は良く草刈りもしてお祭もあったのだが、何時の頃からかまったくしなくなったのだという。おばあちゃんから話を聞くと道標のあるところから入るのは間違いないのであるが、我々は“道路を進む”と言う固定観念に惑わされていたようだ。
実は道標の脇にあるゲートボール場のそのまた先にこそ参道が隠れるようにあったのである。ところが最初の数mこそコンクリートで固められてはいたものの、そこから先は木道となり、丸太を並べただけの橋で小さな川を渡る頃には道さえも識別できないほど草が生い茂っていた。この橋を渡ったところを左に行くのだが、道であると思えないほどである。それでもどんどん山道を登っていくと、やがて石標が現れる。真ん中ほどで上下に割れていているものの“楽天浄極庵主”と読み取れる。これは以前、この先にある観音堂が庵寺だったことの名残である。と、言うことは昔、この険しい場所に庵主様が住んで居られたと言うことになる。所々ナイフエッジの様になっている山道の先にである。しかし、この石標を見つけた我々は更に意気揚々。グングン登って行くとやがて赤い屋根のお堂がひっそりと佇んでいた。そこは周りを木々で覆い隠されているような場所で聞こえてくるのは川の流れるせせらぎの音のみ。まさに周りから謝絶された霊場そのものである。
ここで一つの謎が解けた。昔の書籍(曹洞宗青年僧侶の会発行・妻有の百三十三番−ふる里の霊場めぐり−)に掲載されているお寺やお堂の写真は全て正面から撮影されているのに、ここのお堂だけは真横からの写真だったのが不思議でならなかったのだ。なるほど、そう言うことだったのか!お堂の前も崖、後も崖で大きなレンズの本格的なカメラでは正面からの撮影ができないのだ。良かったよ。おもちゃみたいなカメラで♪
店番のおばあちゃんが「しばらく誰も行ってないんだてぇ」と言う割には荒れてもおらず一安心した。お堂の中にはたくさん“馬”と書かれた習字が納められていて、それを見ると少なくとも平成3年までは人が頻繁に訪れていた様子が窺えた。
本尊様は聖観世音菩薩であるが、詳しい創立年は不明である。また、胎内には仏像らしきものがあり、胎内仏と思われる。これが中子集落から流れてきて、大井平の住人が拾い上げたといわれている伝説の仏様なのであろうか。
【曹洞宗青年僧侶の会発行・妻有の百三十三番−ふる里の霊場めぐり−より一部抜粋】
【詳細な地図】
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