私的巡礼の記録〜妻在百三十三番霊場の旅〜

第九十四番・藤澤〔HUJISAWA〕

参るより 頼を懸る 藤沢や 花の臺にむらさきの雲
(まいるより たのみをかくる ふじさはや はなのうてなに むらさきのくも)

藤澤・2008年9月12日撮影阿弥陀三尊像
・既に廃村となった集落の札所である。今までも阿寺(第七十九番札所)や中井出山(第十八番札所)など、廃村になった札所はあったのだが、どれも別の札所に合祀されていた。だが、この札所は今でも村の中に残っている。
国道403号線沿いの相国寺から少し戻ったところに“欅の増田”という欅専門の製材所がある。その斜向かいの細い道路を山へ向かって上っていけば藤沢集落(跡)に辿り着ける。以前は住んでいた民家が建ち並んでいるのですぐにわかる。特に札所となっている小学校の建物は間違うこともない。
ここの札所はなかなか移り変わりが激しい。真田幸村の家臣の流れを汲む海野藤五郎が元和元年(1615年)に信州よりこの地を永住の地として移り住んだ。これが藤沢の始まりと言われている。藤五郎は邸内に看経堂を建て、信仰する弥陀三尊を奉安。寛文二年(1662年)に火災で御像を焼損。当時の堂主であった新右ヱ門が奥州の仏師に託して体内佛にして再興した。その後御堂は明治四十三年冬期分校の開設で校舎と併用されたが、大正十三年までは庵主様が住んで念仏講や坐禅会が行われていたそうである。昭和二十六年にすぐ上にある熊野神社の境内の左隣に移ったが、村民の離村により昭和五十九年に再び冬期分校の一室に安置されたのである。この分校の建物の入り口のシャッターには鍵が掛かって居らず、中に入ると札所の看板がある。正面の階段を上がって行くと教室の一角に釈迦牟尼佛がお祀りされている。奉拝者のノートがあるので是非記帳してから納経してみよう。
【曹洞宗青年僧侶の会発行・妻有の百三十三番−ふる里の霊場めぐり−より一部抜粋】
【詳細な地図】
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