私的巡礼の記録〜妻在百三十三番霊場の旅〜

第九十五番・岩瀬〔IWASE〕

人心 夜のまにかわる 飛鳥川 渕は岩瀬と なるも夢の間
(ひとごころ よのまにかわる あすかがわ ふちはいわせと なるもゆめのま)

岩瀬・2008年9月12日撮影馬頭観世音菩薩
・楽しみにしていた札所の一つである。
なんと言っても20年前にはここにいなかった観音様が戻ってきたと言うのである。
つまり、平成20年の現在、百三十四箇所の観音様が全て妻在の地に揃っているのだ。国道252号線で十日町市内から柏崎方面へ進み、道の駅・仙田を通り過ぎると国道403号線を小国方面へ右折する。最初の集落が赤谷、小さな橋を渡るといよいよ岩瀬集落である。元々はこの橋の袂の近くにお堂があったのだが、今は無い。この道路をもう少し進むと左側が広くなっている場所がある。その小路を覗いてみると奥に神社の鳥居が見える。現在、観音様はその小路の角の家の中に祀られている。
私が訪ねた時には、この家のおばあちゃんが応対してくださり、いろんな話を聞かせていただけた。この観音様は元々この集落の大旦那様である登坂家のもので、この家はその一番古い分家であるのだという。一時期観音様は大田区の親戚や浦和で医者をしている親戚に渡ったのだが、この医者をしていた親戚の方が亡くなったのを機におよそ10年前に再び岩瀬の本家へ戻ってきた。ところが、本家のお嫁さんが自宅で祀ることに反対したため、一番古い分家であるこのお宅で祀ることとなったのだそうだ。
それ以前の言い伝えでは、慶安三年(1650年)地崩れにより渋海川が反乱、村の大半は流された。登坂家が守護していた馬頭観世音菩薩も流されたが、後日、小国相野原の田中にて発見され、手厚く祀られた。ところが、何回正安置しても岩瀬の方に向き直るといわれ、これを伝え聞いた登坂家では、早速貰い受けに行ったが、応じてもらえなかった。そこで新しい御像を自分の家の裏の高台に祀ったと伝えられる。これが第九十五番札所となった。
お堂でお祀りしていた頃は毎年8月23日に祭が行われ、夜店が出たり草相撲を奉納したり、また、馬頭観音様であることから近隣の農耕馬を連れた人達がお堂の周りをぐるぐると回ったりして大変賑やかだったそうだ。
実はこの観音様には呼ばれていたようだ。前回の札所巡りの帰り道、全く別の道を走っているにもかかわらずカーナビの表示はまさにこの岩瀬を走っていたのである。そして今日、何気なく停車して、なんの迷いもなくこの家のおばあちゃんに岩瀬の観音様を探している旨を伝えると二つ返事で「うちにあります」と返事が返ってきた。この驚愕の偶然には驚いた。こんなに簡単に見つかるなんて思っても見なかったのである。
【曹洞宗青年僧侶の会発行・妻有の百三十三番−ふる里の霊場めぐり−より一部抜粋】
【詳細な地図】
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